このHPは、自家用軽飛行機「ハスキー」でアラスカを飛んだ飛行家の記録サイトです

薪割りと孤独
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薪を割るという作業は、人知れず豊かで孤独なもの。
アラスカも11月も後半になり
空気が乾いた毎日が続くと
春にひとまず半割しておいた薪は
乾いた音を立てて、
気持ちよく真っ二つに割れてくれます。
斧を振り下ろすのにもそんなに力はいりません。

薪を切る時の気持ちは、何ものにもとらわれず
何かの利益を追求せず
ただ自分がここに生きているのと同じ意味で
この作業が存在するのだと思い
心がまるでよどみのない清流の流れそのものになったような
引っ掛かりのない心境になります。
その清流の流れには美しく自由な精神の魚が住み着くものです。

日常において我々は常に孤独を感じ
それを隠し、それを避けようとします。
この社会において孤独、
寂しさを表面上包んでしまうことは
すでに実社会の試みとして、一応の成功を収めているようですが
(人間はとりあえず知らなくてもよいニュースや
出来事に囲まれて話題に事欠かないですし、
どんなところでも遊ぶこともできるようになり
とりあえずごまかすことが可能になりました)
それでもやはり誰もが本当の寂しさを恐れて、
毎日とても忙しそうに労働をして
お金を使い人生を生き急いだりするのです。
貨幣を媒体にしてしまった社会の流れそのものが
猛烈に速くなってきて毎日忙しく働かなくては生きてゆけないと思わせる現世。

ヘンリー・D・ソローは、これを
「現代の舞踏病」と表現しました。
しかも150年以上も昔にです。

生き急ぐ現代を悪いといっているわけではないのです。
それぞれの行き方を尊重しつつも、やはり自分で本物を見ようとしないと
なんだか訳が分からず人生を生きてしまうことにもなりかねない
ということを言いたいだけなのです。

ちょっとだけ視点を変えれば、
寂しさや孤独は、自分という作物を育てる最高の土壌であり
あなたの精神性を際立たせるための養分をふんだんに合わせ持つ
豊饒さだということに気付くはずです。

いま、寂しく孤独でも
それはこころの養分を蓄える大事な時期なのだと
楽観してみましょう

そしていま寂しくも孤独でもない人は
将来訪れるであろうそれについて
すこし考えてみるのもよいかもしれません。

2006年11月執筆